『序列の価値観』の亜種
こんばんは、ご無沙汰いたしましたアキバです。久しぶりに、たっぷりと休暇をいただき、風邪を治しつつ体を鍛え直してきました。
さて、今夜は最近発見いたしました『序列の価値観』の亜種についてご紹介いたします。
最近では、いろいろなところで縦社会の序列ではなく、『フラットな組織』が有効である事を見聞きするようになりました。
高度情報化社会において、より専門性が求められるようになった結果、組織の形態はフラットかつ広いネットワークである事が望ましくなってきたのです。
(念のため補足しますと、インターネットやデジタル放送など情報のインフラが素晴らしく発展したため、世の中には情報が溢れ、多少の事であれば一般の人でも調べがつくようになった結果、専門家はより専門性を求められ、かつ一般の人がにわかに覚えてしまった部分的な専門知識が有効か否かを指摘してあげつつ、正しい方向に導いてあげる必要性が出てきたという事です。)
その『フラットな組織』を構築する時に阻害要因となるのが、『序列の価値観』です。
『序列の価値観』につきましては、これまで何度かご説明しております通り、「自分の方が序列が上」という事を「地位」「知識」「ノウハウ」「スキル」「容姿」「お金」など様々な事で他人と比較して、「自分の方が序列が上」だと安心したり嬉しかったりする『価値観』です。
このように表現すると、特に悪いものには見えませんが、『序列の価値観』が強くなってくると《勝ち組と負け組》のように公然と差別化するようになり、しまいには家族や友達関係においても、一部の動物のように『完全序列』的な見方をするようになってしまいます。
実はこの『序列の価値観』、子供の頃は強めに出てしまっている子がよく見受けられます。
「俺の方が、俺の方が‥‥」とか、「俺だって、俺だって‥‥」という子です。
10代、20代くらいまでは一生懸命頑張るために、負けず嫌いで「俺の方が、俺の方が‥‥」とか、「俺だって、俺だって‥‥」と言うのも悪い事ではありませんし、逆に有効な動機付け要因にもなります。
しかし、30代を過ぎて徐々に世間全体を視野に入れてまとめる必要が出てきた時に、まだ「俺の方が、俺の方が‥‥」とやっていると、次第に《人の上に立たないと気が済まない》ようになってきてしまいます。
ですから、専門性を持った社員やメンバーによる『フラットな組織』を組もうとした時に、『序列の価値観』を持った社員やメンバーは他の社員やメンバーを100%信頼して仕事を任せる事に無意識の抵抗感を感じたり、フラットではなく序列を付けたくなってしまいます。
実は最近の観察で新たな問題が浮上してきました。
それは、私が考えていた『序列の価値観』とは別の『序列』を強烈に求めている人に出逢った事がきっかけでした。
幼少の頃から受験戦争で人の上に這い上がるための教育を受け、同時に大人は出世のために同僚を蹴落としてでも這い上がっていた時代が残した結果が、『序列の価値観』です。
先にも紹介いたしましたが、負けじ根性で一生懸命頑張ったりする事もあるので、一概に悪い事ではなく良い部分もあります。
ですが、そこに『共依存』が同居し始めた事により、表面上は『序列の価値観』は持っていないように見えても、実は《最も強烈な『序列』》を心に持っている人が増えてきたようなのです。
「自分の方が序列が上」という事を「地位」「知識」「ノウハウ」「スキル」「容姿」「お金」など様々な事で他人と比較して、「自分の方が序列が上」だと安心したり嬉しかったりする『価値観』を、私は『序列の価値観』と名付けました。
しかし、《最も強烈な『序列』》は、人間性そのものを判断するものでした。
「地位」「知識」「ノウハウ」「スキル」「容姿」「お金」といったものについては、万人紙一重でさほど変わるものではなく、あくまで《その人自身の人間性》が素晴らしければ、世の中の事が全て上手く行くという考え方です。
さっと読まれた方は、「ごもっとも!」とか「その通り!」っと思われたのではないでしょうか?
表面上はその通り、正しい事ですし、「人間性が素晴らしい」という事は間違いなく、最も追求すべき事です。
それでは何が問題かと言うと、実はその裏側もしくは深部に《人間性が素晴らしくない人》と《人間性が素晴らしい人》を自分の尺度で計り、『序列』もしくはゼロサムで分類している影が見えてきたのです。
これは『共依存症』までいかないにしても、正しく強く優しい誰かに頼りたい自分の現れだと思います。
高度情報化社会の到来は、入手する事が出来る情報の質と量のみならず、スピード=時間まで変化させてしまいました。
二次元が平面、三次元が立体、四次元は時間も含めた空間だと仮定すると、時間の変化は四次元にまで影響を及ぼしている事になります。
最近は激動の時代と言われ、思考の枠組みが変化するパラダイム・シフトが起こるとも、実際にパラダイム・シフトが起き始めているとも言われています。
世の中に大きな変化の予兆があり、それが何なのかがわからない環境にさらされていれば、誰しも不安です。
幼少期から真面目に《教えられて》育ち、親からは《必要以上に大切にされて》育った結果、自立性に欠ける『共依存』が芽吹きます。
そんな『共依存』傾向を持った人に、世の中の環境という逃れられない『不安』が押し寄せて来れば、当然のごとく正しく強く優しい誰かに頼りたくもなるでしょう。
ところが、世の中の環境という逃れられない『不安』をより強く感じるようになってくると、《アキバの動物からカリマス理論》により、無意識に他を排除しようとし始めるのです。
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《アキバの動物からカリマス理論》
『知らないモノ』は『不安』を生み、『不安』を解消するために、『不安』から『逃避』したり、『逃避』しきれない場合には『不安』要因を『攻撃』する事により解消しようとする事。
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この場合に排除しようと無意識に思ってしまう対象が、《人間性が素晴らしくない人》と自分の尺度で判断した人です。
自分を世の中の環境という逃れられない『不安』から守るためには、自分の尺度で《人間性が素晴らしい人》が一番、『安心・安全』です。
ですから、まず当然のごとく『安心・安全』を選ぶでしょう。
しかし、それでも『不安』な状況が続けば、『不安』から『逃避』したり、『不安』を『攻撃』したりし始めます。
その対象が、自分の尺度で計った《人間性が素晴らしくない人》となってしまうのです。
こうなってしまうと、自分の周りに厚い殻が出来て、他人の意見を何でもナチュラルに聞いてみる事が出来なくなってしまいます。
自分が認めた人でない限り素直に意見を聞いてみる事が出来なくなり、せっかくのチャンスを逃してしまう事も多くなります。
それ以上に、《人間性が素晴らしくない人》はダメな人、《人間性が素晴らしい人》は良い人と自分の尺度で決め付けるようになるため、《関係ない人》や《敵》も当然のごとく増えてしまう事さえあるのです。
世の中は激動の時代だからこそ、強いリーダーが必要だというのもわかりますし、正しい方向に導いて欲しいという欲求があるのもわかりますが、《自分にも強いリーダーになったり、他の人達を正しい方向に導いてあげる事だって出来るんだ》という事を忘れないでください。
そして、そのチャンスを広げる自己革新の入り口が、『謙虚な心』です。
他人の意見を素直に謙虚に受け止め、良いところは吸収させていただき、悪いところは指摘させていただけば、お互いが成長する事が出来ます。
しかも、もっとナチュラルに、自然体の自分でいられるようになるのです。
勿論、『謙虚な心』を持つには同時に『強い心』や『暖かい心』も兼ね備えていなければなりません。
それでも『人』ですから、金八先生がおっしゃる通り「人と人とは支えあってこそ人」なのですから、例え完璧ではなくても「そうしてみよう!」っという決断が、その一歩を刻むのです。
勇気を持って、自分らしい自分のやり方を見つけるために、さぁ一歩踏み出しましょう。
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