2010年05月
東京スカイツリーの足元(2010年5月22日)
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今宵はちょっとブレイク。
おとといの土曜日(2010年5月22日)に東京スカイツリーの写真を撮って参りましたので、ご紹介させて頂きます。
錦糸町から東京スカイツリーを目指して歩いてみました。
途中にはお城があったり・・・・・
気になる探偵社さんがあったり・・・・・・・・・・・
足元まで近づくと、こんな感じです。
意外と細いでしょう?
これで634mを支えちゃうんですから、凄い技術ですよねぇ〜。
見上げればもうこんなに高い。
タワー周辺も商業施設を造っているんですねぇ。
(何か飛行物体が写って・・・・・)
実は、東武伊勢崎線(日光線)の業平橋駅の真横なんです。
東京スカイツリーの構造はテンセグリティなんでしょうかねぇ?
テンセグリティ
テンセグリティな組織
信頼関係が無いほど不安は伝播する
こんばんは、経営理念コンサルタントでリスクマネジメント協会 Certified Risk Manager のアキバです。お暑うございます。
さてさて、熱いと言えば熱い友情ですが‥‥‥(あっ、ちょいと強引でした‥‥)
友情は固い信頼関係があってこそ成り立ちますよね。
相手を心から信じ、相手からも心から信じられ、お互いに支援し合う事が出来るのが、友情の素晴らしいところです。
“信頼”は「信じて、頼る」と書きますが、自分自身が心から相手を信じていれば、
《相手に任せた責任は自分自身にある》
と素直に思える筈です。
ところが、相手を心から信じていない状態、つまり、
「裏切られるかも知れない。」
「騙されるかも知れない。」
っと用心している関係で相手に頼ると、
《相手が引き受けたのだから、責任は相手にある》
っと思ってしまうでしょう。
「やっぱり裏切られた!」
「やっぱり騙された!」
っというやり場のない怒りが込み上げて、
「信用してたのに裏切られた!」
っとなるのでしょう。
初めから“用心”していて、相手を心から信じて切っていないために、相手に任せた自分自身の責任とは素直に思えないからなんですねぇ。
本当はどちらのケースも
「頼った責任」
「任せた責任」
は、間違いなく自分自身にあるんですけどねぇ。
ですから、心の通った人間関係、まごころ溢れるコミュニケーション、心からの信頼関係が大切なんです。
さてさて、とは言っても、今の世の中、心からの信頼関係やまごころといったものが希薄になってきておりまして、そうなると“用心”しながらの“信用関係”となります。
会社組織でも、地域のコミュニティーでも、“用心”しながらの“信用関係”がほとんどでしょう。
「任せたけど、ちゃんとやれるか心配」
「頼りにしてるけど、裏切られやしないか心配」
「貸したけど、返してくれるか心配」
“用心”しているという事は、常にマイナスの心配りをしている状態です。
あっちの人間関係にも、こっちの人間関係にも、常にマイナスの心配りをしているだけで、心は不安定な状態ですよね。
アキバの動物からカリマス(借ります)理論に当てはめると、
不安
↓
脅威
↓
逃避
↓
攻撃
という連鎖反応に陥ります。
さらに、
わからないモノゴト
↓
不安
↓
脅威
・
・
・
となりますので、「わからないモノゴト」が多い世の中では“不安”が広がりやすいんですねぇ。
“不安”に“脅威”を抱けば抱くほど、同じように“用心”している他の人々も、
「自分が責任を取るのは嫌だ。」
「責任は取りたくないから、信頼している訳ではなくても、誰かに任せたい。」
「引き受けたんだから、責任は取ってもらわないと困る。」
「責任を取ってもらわないと、自分に責任が降りかかってくるから困る。」
っと考えます。
“不安”に囲まれて生きていくためには、まず、自分を守りたいのは当然でしょう。
自分が“不安”の“脅威”から逃げだすためにも、責任の大きい事は他人に任せたいと思い、“脅威”の原因となる責任が再び自分に降りかかって来ないように“口撃(攻撃)”を加えるんですねぇ。
(理不尽なパワハラ、クレーマー、モンスターペアレントなどは、攻撃性が際立った例です)
・相手を心から信じ切っていないから、相手のやり方ではなく、ついつい自分のやり方を押し付ける。
・相手を心から信じ切っていないから、相手が対処すべき問題も、自分に責任が及ばないようにという無意識な反応から、自分の問題と区別がつかなくなる。
上記2点の度が過ぎると、《 共依存症 》を招くきっかけにもなってしまいます。
相手を心から信じ切って“信頼関係”を築き、人それぞれの個性を活かして、自立型相互支援の関係を目指すのか?
相手に“用心”して建て前上の“信用関係”を作り、相手の個性を牽制しながら、依存型相互利用の関係に陥るのか?
ただ一つ言えるのは、
依存型相互利用社会は、
《 心から信じられない=わからない人 》
ばかりの社会。
人間関係そのものが不安な社会においては、
人間関係以外のちょっとした不安が、
伝播しやすいのです。
不安が“群集の心理”によって広がると、
“逃避”する事が出来なくなり、
“攻撃”へと転じます。
そう、
暴動とは“不安”が“群集の心理”によって広まった結果として、
起こってしまうものなのです。
ちょっと話しが大きくなり過ぎましたが、責任を他のメンバーに押し付けながら、不安で満たされてしまっているような組織は、意外と多いものです。
みなさまも、まずは自分の周りに心から信じきる事が出来る“信頼関係”を築けているか?それとも、“用心”しながらの“信用関係”しかないか?を、確認してみてくださいませ。
組織力を飛躍的にアップさせるためにやるべき事
組織力を飛躍的にアップさせるためにやるべき事それは、メンバーのひとり一人が
“心からの思いやり”
を本音ベースでしっかりと持つ事
ほとんどの組織においては
【本音と建て前】
が必ず存在し
メンバー同士が味方であったり
メンバー同士が無関心であったり
メンバー同士が敵であったり
本氣で組織力を飛躍的にアップさせたければ
メンバーひとり一人
メンバー全員の
“心からの思いやり”
を育て続ける事
経営理念コンサルタント
秋葉 拝
Dio 〜 追悼 〜
へヴィメタル史上最高のシンガーの1人であり、私が師と仰ぐロニー・ジェームズ・ディオ様(Ronnie James Dio)が、2010年5月16日早朝にお亡くなりになりました。Rainbow、Black Sabbath、Dio・・・・・・
“メタル界のサブちゃん”とも呼ばれ、まさにVocalistとしてのお師匠様。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
MTVニュース・ロニー死去
ロニー・ジェイムス・ディオ
Hear N' Aid- Stars
livedoorブログをアップすると自動的にtwitterにもつぶやいてくれる?
livedoorブログをアップすると自動的にtwitterにもつぶやいてくれるらしいので、実験してみました。投稿設定からtwitterとの連携設定をしておけば、
・ブログをアップするとtwitterへ自動配信
・twitterのつぶやきをまとめて、ブログ化
の両方が出来るそうな。
twitterへ配信されましたかねぇ?
〜 裏 〜
〜 裏 〜
他人の持ち物を
羨ましく(うらやましく)思ったり
恨めしく(うらめしく)思ったり
他人の能力を
羨ましく思ったり
恨めしく思ったり
他人の地位を
羨ましく思ったり
恨めしく思ったり
他人の成功を
羨ましく思ったり
恨めしく思ったり
裏を返せば
病んでいたり
女々しかったり
他人の持ち物も
他人の能力も
他人の地位も
他人の成功も
共に喜び合う事が出来たなら
共に協力し合う事も出来る筈
表向きは褒め称えたり(ほめたたえたり)
建て前で賞賛しても
裏では疚しい(やましい)企みがあったり
本音では恨めしく思ったり
そんな本音と建て前
そんな裏表
本物の強さと優しさとは
裏も表もなく
面(おもて)に
思いやりが滲み(にじみ)出る
〜 裏 〜
秋葉 拝
再放送:脳幹(爬虫類脳)とアイデンティティと『序列の価値観』〜リバイバル編〜
こんばんは、経営理念コンサルタントでリスクマネジメント協会 Certified Risk Manager のアキバです。今宵はこのブログが経営パワーブロガーになる前「ロハスなコンサルタント?」だった頃にお伝えしました、爬虫類脳と呼ばれる脳幹がアイデンティティを守るために「こんな風に影響しているらしい」というお話について、大変ご好評につきリバイバル編を、再び再放送でお送りいたします。
経営者育成をされている和尚様である竹内日祥様の著書《企業再構築の仕組み バリュー・マネジメント》
企業再構築の仕掛け バリュー・マネージメント―激動の乱世、変革への挑戦
にあります通り、高度情報化社会の現在において、自分と他人の関係性を見つめ直す必要性が出てきたようです。
《企業再構築の仕組み バリュー・マネジメント》に書かれている分離思考の自我と統合の思考の自己は、辞書で調べると次のような意味となります。
【 自我 】
哲学で、認識・意志・行動の主体として、外界や他人と区別されて意識される自分。
【 アイデンティティ 】
自己が他と区別されて、ほかならぬ自分であると感じられるときの、その感覚や意識を言う語。
【 自己 】
自分自身。おのれ。
それでは脳幹とアイデンティティのお話から参りましょう。
※ここからはあくまでも、私が聞いた噂話に基づいた私見です。学術的な証明等は取れておりませんので、ご了承下さいませ。
人間には爬虫類脳のと呼ばれる脳幹と、感情を司り人類にしか無いとされる大脳新皮質があります。
自我を形成するアイデンティティ(自己が他と区別されて、ほかならぬ自分であると感じられるときの、その感覚や意識)は大脳新皮質にて形成されます。
簡単に言うと、自分は他人と比べてどうなのか?と言う事を多角的に考え(感じ)ているという事です。
なぜカッコ書きで感じていると表現したかというと、あえて意識的に考えている訳ではなく、無意識に考えているようだからです。
『序列の価値観』を説明するたびに申し上げております通り、少し前の日本人は戦後日本の復興と高度成長期を支えた原動力として「24時間戦えますか?」っと多少の無理は承知で頑張って来ました。
そして、最近の日本人は受験戦争に勝つ為の教育を受けて育つようになりました。
大人は競合他社に勝ち、出世の為に同僚に勝ち、子供は一流校に入る為に同級生に勝つ事が目標になりました。
子供の頃から勝ち負けで育ち、大人になっても勝ち組と負け組に「平気で分類されて」しまいます。
本来であれば、スポーツやゲームで「他人に勝つ」事と「人を上下に序列化する事」は全く違う事の筈です。
しかし「人生の目的」や「自分が他人にどのような貢献をしたいか=自己理念」が育ちきっていない状態で「勝ち抜く」事を「目標」としてしまうと、目的と目標が同一化してしまうのも仕方ないのかも知れません。
受験戦争用の教育を受けて育てば、学歴による自己と他の区別をする事が当たり前になるでしょう。
そこから派生して、資格の有無も同様に区別のポイントになります。
また、社会人になれば上場会社と非上場会社の違いや、役職等が区別のポイントになるでしょう。
学歴、経歴、資格、役職などで他人に勝つ事が出来ない場合には、社会一般的な尺度としてお金=が基準になりがちです。
こうして「他人に勝つ」事を目的として生きるか、あるいは好きな事をするための『金儲け』だけの手段として仕事するようになります。
こうなると、学歴や資格、会社の規模や役職等、あるいは『お金基準の価値観』で「他人に勝っている部分」を基にアイデンティティを形成するようになるのでしょう。
このアイデンティティがまさしく『序列の価値観』や『お金基準の価値観』の基となっているのです。
自分と他人を地位や学歴・資格、あるいはお金や知識といった基準の『勝ち負け』により無意識に区別してしまうのが『序列の価値観』です。
そうして「他人に勝つ」事が目的となって形成されたアイデンティティを基準として、他人の態度や意見に対して脳幹からの指示・反応があります。
脳幹とは爬虫類脳と呼ばれ、簡単に言うと二元論的な○×の反応をするそうです。
『アキバの動物からカリマス理論』には、
知らないモノ
↓
不安
↓
脅威
↓
逃避
↓
攻撃
といった一連の流れがありますが、ある意味これは哺乳類的な反応モデルなのかも知れません。
脳幹が二元論的な反応と非常に限定的な事も、爬虫類脳と呼ばれるゆえんなのでしょう。
さて、自分のアイデンティティに対して他人から《批判的な態度や意見》を受けた場合、脳幹はどのような反応をすると思いますか?
はい、その通りです。
二元論ですから「×」ですね。
批判的な態度や意見をした他人を「×」、つまり敵もしくは有害とみなすそうです。
そうして自分のアイデンティティを認めてくれた上で、『序列』を上げるために有効な人意外は敵もしくは有害、あるいは関係ない人に分類してしまうのが、『序列の価値観』による弊害です。
簡単に言うと、アイデンティティの似たもの同士でまとまっていた方が、脳幹が楽なのでしょう。
あれれ?
ちょっと待ってくださいよ!
これって、よく読み返して見れば、昨年末にお送りした《〜新種降臨〜の巻き》と《〜業務上境界性パーソナリティ障害〜其の弐〜の巻き》でお伝えした、『業務上境界性パーソナリティ障害』を要約したようなものじゃないですか。
そもそも『心』を強く育てる事を怠って『競争原理』を持ち込むと、脳幹が『勝ち負け』や『敵・味方』に分類するように導いてしまうという事です。
急成長する国には見られがちな傾向かも知れません。
こうなると、他人を認めた上で自己を確立する『自立』にも障害となります。
「○」の他人と自分との境界線を引けなくなる、むしろ境界線を引かない方が脳幹としては心地よいでしょうからね。
自分と他人の境界線を引けないという事は、まさしく『共依存』です。
『序列の価値観』『お金基準の価値観』『業務上境界性パーソナリティ障害』『共依存』いずれにしても、解決策は『本来の価値観』に立ち戻って、『本質』を追求する事です。
『序列の価値観』であれば、本当に学歴や地位、資格、知識が他人よりも勝っていれば、人間としても上なのか?
そうだとしたら、「下」とみなした人々とはどのように接するのか?
果たしてそれは、本当に正しい事なのか?
っという事を本気で真剣に考える事です。
『お金基準の価値観』であれば、あなた自身やあなたの『心』も『お金』で買う事が出来るのか、自分の身内はどうか?親友を『お金』で売る事が出来るのかを、ちょこっと考えてみる事です。
『業務上境界性パーソナリティ障害』であれば、
本当に自分だけが正しく他人は間違っているのか?
他人だけが正しく自分は間違っているのか?
自分も他人も間違っているのか?
自分も他人も確かにそれぞれの考え方があって、お互いに謙虚に受け入れ合えるのか?
について、深〜く、深〜く考えてみる事です。
『共依存』であれば、今そこにある問題は、はたして誰の問題なのかを常に考えて行動する事です。
常に考えて『矛盾』を見つけて『改善』する事。
逆に言うと『矛盾』が生じないように考えるという事が、論理的思考=ロジカルシンキングでしょう。
『頭』と『心』と『身体』をフル活用して、お互いが自立し、お互いに支援し合える『自立型相互支援社会』を、是非ともご一緒に目指しましょう。
弱さ故の責任転嫁と他者批判の仕組み
人間は弱いものである弱いからこそ支え合う
支え合うのに傷つけ合う
傷つけ合うのに愛し合う
愛し合うのに騙し合う
人間は弱いものである
弱いからこそ
失敗の責任は他人に転嫁して
逃げる
弱いからこそ
成功の要因は自分にすり替えて
承認を求める
弱いからこそ
常に警戒した顔つきで
相手を威嚇する
弱いからこそ
相手をしっかりと見つめないで
ぶつかる
相手をコントロールしたり
相手にコントロールされたり
そんな事は出来やしないのに
そんな力を信じ
そんな力に屈し
そんな力を欲しがる
本物の強い力は
責任力
意思決定力
他者とお互いに支え合う事が出来るのは
自らの責任を
自らの意思決定によって
全うし続けているから
相手の責任を
自らの意思決定によって
問い詰めたとしても
相手は心のどこかで
自分を敵視するだけである
それでも
他者責任に逃避する
人間は弱いものである
強くなるために〜わからない事ノートをつけましょう〜
こんばんは、経営理念コンサルタントでリスクマネジメント協会 Certified Risk Manager のアキバです。突然ですが、あなたはたくさんの“わからないモノゴト”に囲まれた時、冷静にひとつひとつの“わからないモノゴト”を解消していく事が出来ますか?
アキバの《動物からカリマス理論》では、
わからないモノゴト
↓
不安
↓
脅威
↓
逃避
↓
攻撃
っと、心理的な作用から、人間も動物と同じような行動に出てしまうという事が出来ます。
自分の思い通りにならない事や、わからないモノゴトに自分が囲まれると、常にイラついている人のように攻撃的になったり、優先順位を無視してわからないモノゴトを後回しにしてしまう逃避行動に陥ったりする事があります。
平和を祈りながら、戦闘・格闘系のゲームが大人気なのは、常に不安に囲まれているストレスを、ゲームを媒介して解消しているからかも知れませんねぇ。
私が再び経営に“戦い”という言葉を使い始めた理由の巻きでもお伝え致しましたが、たとえ不安で逃げ出したくなっても、たとえ脅威の対象を攻撃したくなっても、結局のところ根本的な原因である“わからないモノゴト”を解明する事が唯一の解決方法です。
そこで、今宵おすすめしたいのは、
“わからない事ノート”
です。
“わからない事ノート”とは、今日わからなかったモノゴトを自分の好きなデザインのノートに書き出し、それを読み返して、わかった時には、その内容を書き足していくという、単純明快なノートです。
初めのうちは、“わからないモノゴト”を整理する感覚で書き始めると良いでしょう。
慣れてきたら、敢えて“わからないモノゴト”を探しながら書いていくようになります。
自分の“目的”を成し遂げるために、潜在的な問題点を探しながら書いていくようになります。
ただし、注意しなければならないのは、他人の考え方や思考については、第三者が読んでも間違いのない客観的な根拠を突き止めてから、“解明”とする事です。
そうしないと、自分勝手な「思い込み」や「決め付け」で不安を解消しようとしてしまいますからねぇ。
自分の身の回りにどんな“わからないモノゴト”があるのか、自分は何に対して悩んでいるのかを
“わからない事ノート”
に書き出すだけでも、効果はあります。
何故なら、
「自分の身の回りにある“わからないモノゴト”」
や
「自分は何に対して悩んでいるのか」
という事自体が明確化して整理されますからね。
特に難しい準備も必要なく、《逃避》や《攻撃》の原因となる“不安”を解消しながら、“不安”との戦い方を身に付ける事が出来る
“わからない事ノート”
たったノート1冊でも、問題発見力と問題解決能力を高めながら、精神的にも成長する事が出来ます。
是非、お試しくださいませ。
男がダメならギャルに聴け!〜自分磨きノートに学ぶ引き寄せの法則〜
こんばんは、経営理念コンサルタントでリスクマネジメント協会 Certified RiskManager の秋葉です。
最近では男性向けのヒット商品など、男性がリードするトレンドがめっきり少なくなってしまいました。
内需を活性化するためには、所得の減少を憂うより、欲望を目標として達成していく事が必要ですね。
会社における経営計画もそうですが、思い通りに行かない理由を外部要因にばかり求めていると、自身が成長する力まで失われてくるものです。
近頃の男性陣は、ちょっと後ろ向きで諦めがちな方々が増えてしまったようですねぇ。
もっと、もっと、欲望を目標に変えて達成していっていただきたいものです。
それに引き換え、近頃のギャルは見習うところが多いですねぇ。
そもそもDESIREをしっかりと持っている上に、最近では
《 自分磨きノート 》
をつけている娘が増えてきているそうです。
あなたも、一度くらいは《 自分磨きノート 》という言葉を耳にされた事があるかと思いますが、如何でしょうか?
自分が気に入ったコーディネイトのモデル写真を切り抜いてノートに貼ったり〔=目標の設定〕
自分が目指している体型の女優やモデルの写真をノートに貼ったり〔=目標の設定〕
自分が目指している体型になるためのトレーニング方法とトレーニング成果をノートに綴ったり〔=予実管理〕
好きな彼氏のための料理レシピを切り抜きと共にノートに綴ったり〔=イメージを伴ったマニュアル化〕
内面を磨くために感謝や思いやり、気遣いなどについてノートに綴ったり〔=信条、行動指針〕
目標に対して今日、どんな行動をして、どんな結果だったのかをノートに綴ったり〔=業務日報〕
自分の失敗談や成功秘話をブログにアップしたり〔=業界全体の活性化に繋がる情報発信と社会貢献〕
そのブログに対するコメントから人脈を広げたり、モチベーションを上げたり、いろんな意見を吸い上げたり‥‥‥‥
ノートに書いて常に確認する事によって、常に目標を意識する事が出来ますし、常に目標を意識する事によって、それまで気づかなかった事にも、どんどん気がつくようになるんですねぇ。
常に意識する
↓
気づきが増える
↓
成果に早く近づく事が出来る
これを、少々神秘的な表現に変えてみると、
「あなたは、ただ意識するだけで、意識し続けるだけで良いのです。それだけで成功は自然とあなたに引き寄せられてきます。」
ってな表現になります。
しっかりと自分自身の意思決定の基軸を持ち、その軸からブレずに目標を意識をしていれば、意識していない時に比べて格段に気づきの機会が増加します。
あとは、【 成功のための四要素 】ですね。
さぁ、あなたも
《 自分磨きノート 》
をつけて、ピッカピカに自分を磨き上げてみましょう。
あっ、先ずは私ですね。
価値観とチャンク
こんばんは、経営理念コンサルタントでリスクマネジメント協会 Certified RiskManager の秋葉です。
素晴らしいお天気に恵まれたゴールデンウィークも終わり(‥‥‥あっ、今日・明日を休んで大型連休にしている方々もいらっしゃるかも知れませんが‥‥)、お疲れ気味の木曜日。
本日もお疲れ様でございました。
さてさて、休日の楽しみ方として、
ご主人は「○○○がいい!」
とか
奥様は「◇◇◇に行きたい!」
とか
お子様は「☆☆☆で遊びたい!」
なぁ〜んて意見がまとまらなかったご家庭もあるでしょう。
たとえ家族であっても、人はそれぞれの価値観を基準として、モノゴトを判断します。
人それぞれ、多少の価値観の違いはあるでしょうけれども、
「あの人とは、価値観が合わないの」
っと、価値観の相違が原因で人間関係が大きく左右される事も事実です。
面白いと思うモノゴトが異なったり‥‥‥
美味しいと思うモノゴトが異なったり‥‥‥
美しいと思うモノゴトが異なったり‥‥‥
たとえ価値観がお互いに異なっていたとしても、お互いの異なる価値観を受け入れて行くと、世界は広がります。
ところが、相手の価値観を否定すれば、相手との人間関係は上手く行かず、自分の価値観を否定されても、相手との人間関係は上手く行かないものです。
そんな価値観にも、チャンクがあります。
チャンクとは「塊(かたまり)」の事で、大きなチャンクは大分類、小さなチャンクは小分類といった形で、細分化する事をチャンクダウン、まとめ上げる事をチャンクアップと言います。
私がいつも『本来の価値観』と表現しているのは、十人十色、様々な価値観をまとめ上げ、チャンクアップした大きなチャンク価値観です。
モノゴトには、
『存在価値』と『付加価値』
がありますよね。
あっ、そうそう、“勘定”としての付加価値ではなく、“感情”としての付加価値です。
自分自身にとって不足しているモノゴト、必要なモノゴトが、
『存在価値』
となります。
自分自身の感情を動かすモノゴトが、
『付加価値』
となります。
これを経済的価値のみで切った場合には、
「高いモノゴトは良い」
「良いモノゴトだから、人気がある」
「人気があるから、良いモノゴトである」
という価値観となります。
経済的価値によって、モノゴトの良し悪しを判断する価値観を、私は
『お金基準の価値観』
と読んでいます。
『お金基準の価値観』であれば、自分自身の価値基準よりも、需給バランスやトレンドが優先されますので、自分自身が追い求めるモノゴトがなかなか定まりません。
その定まらない価値観の中で、その時々の気まぐれ的な発言によって、他人と対立してしまう事は、とても勿体ない事です。
『存在価値』+『付加価値』=『本来の価値観』
と表現して参りましたが、
もしかすると、
『存在価値』×『付加価値』=『本来の価値観』
かも知れません。
『存在価値』が無ければ、『付加価値』がいくらあっても、“ゼロ”ですからねぇ。
自分自身の中にホンモノを見出だす事が出来る『本来の価値観』
他人の価値観の中に自分を見出だす『お金基準の価値観』
『本来の価値観』をチャンクダウンすると、それぞれの価値観に繋がりますが、『お金基準の価値観』をチャンクダウンしても価値基準は『お金』ですから、割り切って対立しやすいのですねぇ。
それでは、今宵はこの辺で‥‥
詳細は、また改めてお伝えしましょう。
組織がレベルダウンする仕組みが解りました!
こんばんは、経営理念コンサルタントでリスクマネジメント協会 Certified RiskManager の秋葉です。
関東では、穏やかな晴天に恵まれたゴールデンウィークとなりました。
みなさま、如何お過ごしでしょうか?
さてさて、先日、とあるミーティングの現場で、組織がレベルダウンする仕組みが解りましたので、ご報告させていただきます。
チームや組織において、影響力の強い(もしくは影響力のある)メンバーが、議題の内容を上手く理解出来ない場面を想像してみてください。
前提条件としては、想像しやすいように、弁が達者で穏やかではない気質のメンバーとしましょう。
「ちょっと!わかんないんですけど!わかりやすく、簡潔に教えて下さい!」
そのメンバーは、自分がどうしても理解出来ない事を、強気に主張し続けます。
他のメンバーはいろいろな角度から説明をし続けます。
しかし、議題として挙げられている問題は根深く、背景等を割愛して簡単に説明出来るようなものではありません。
モノゴトを理解するには道理や基本的な知識レベル等が必要なのは、誰でもわかっていらっしゃる事だと思います。
根深く、大きなテーマの場合には、それなりに最低限知っていなければ理解する事が出来ない道理や知識も多くなりますよねぇ。
例えば、必要な知識レベルが10だとして、8まで知っている人には不足している2の部分をわかりやすく説明して、理解していただいてから、本題に入れば「わかりやすく」説明する事は出来ますが、2の部分を「説明する時間」は必要ですよね。
それでも「簡潔に!」っと強調されると、2の部分を割愛しなければならなくなります。
さらに、そのメンバーが5までの知識レベルしかなかったら‥‥‥‥
3までの知識レベルしかなかったら‥‥‥‥‥‥‥
もはや、本質から掛け離れたとしても、そのメンバーが「わかった!!」っというであろう表現を探して、「簡潔に!」説明するしかなくなってしまいます。
その組織やチームの中で高い知識レベルのメンバーが提案した議題でも、組織やチームの中で影響力の高いメンバー、場合によってはリーダーが
「ちょっと!わかんないんですけど!わかりやすく、簡潔に教えて下さい!」
っと言い出したら‥‥‥‥
実際に組織やチームを導く実権を握っているリーダーや、方向性を変えてしまうような影響力を持つメンバーが自分の知識レベルが不足しているにも関わらず、
「他のメンバーの知識や能力に敬意を払わずに」
「ちょっと!わかんないんですけど!わかりやすく、簡潔に教えて下さい!」
っと言い出したら‥‥‥‥
結果はもう、おわかりですよね。
「簡潔に!!」って、よく使われる言葉ですが、その一言によって、組織やチームのレベルがどんどん下がって行く事があるのです。
その原因は、影響力の高いメンバーやリーダーの中にある
『序列の価値観』
もしくは
“思いやり”の欠如
他のメンバーの知識や能力に敬意を払う事が出来ないのは、自分の方が【 上の立場 】と思っているか、「他人よりも、まず自分」っと思っているからです。
暴力的な力が強かったり、
権利が強かったり、
口が達者だったり、
社会的地位が高かったり‥‥‥‥
そんな方々が自分自身の知識レベルや理解している道理が欠如もしくは不足しているにも関わらず、
「ちょっと!わかんないんですけど!わかりやすく、簡潔に教えて下さい!」
なぁ〜んて言っていたら、チームや組織は疎か(おろか)、国や世界単位でも、
『お馬鹿化』
が進んでしまう事になります。
上司の方々
リーダークラスの方々
経営幹部の方々
是非、是非、お氣をつけくださいませ。