信頼関係が無いほど不安は伝播する
こんばんは、経営理念コンサルタントでリスクマネジメント協会 Certified Risk Manager のアキバです。お暑うございます。
さてさて、熱いと言えば熱い友情ですが‥‥‥(あっ、ちょいと強引でした‥‥)
友情は固い信頼関係があってこそ成り立ちますよね。
相手を心から信じ、相手からも心から信じられ、お互いに支援し合う事が出来るのが、友情の素晴らしいところです。
“信頼”は「信じて、頼る」と書きますが、自分自身が心から相手を信じていれば、
《相手に任せた責任は自分自身にある》
と素直に思える筈です。
ところが、相手を心から信じていない状態、つまり、
「裏切られるかも知れない。」
「騙されるかも知れない。」
っと用心している関係で相手に頼ると、
《相手が引き受けたのだから、責任は相手にある》
っと思ってしまうでしょう。
「やっぱり裏切られた!」
「やっぱり騙された!」
っというやり場のない怒りが込み上げて、
「信用してたのに裏切られた!」
っとなるのでしょう。
初めから“用心”していて、相手を心から信じて切っていないために、相手に任せた自分自身の責任とは素直に思えないからなんですねぇ。
本当はどちらのケースも
「頼った責任」
「任せた責任」
は、間違いなく自分自身にあるんですけどねぇ。
ですから、心の通った人間関係、まごころ溢れるコミュニケーション、心からの信頼関係が大切なんです。
さてさて、とは言っても、今の世の中、心からの信頼関係やまごころといったものが希薄になってきておりまして、そうなると“用心”しながらの“信用関係”となります。
会社組織でも、地域のコミュニティーでも、“用心”しながらの“信用関係”がほとんどでしょう。
「任せたけど、ちゃんとやれるか心配」
「頼りにしてるけど、裏切られやしないか心配」
「貸したけど、返してくれるか心配」
“用心”しているという事は、常にマイナスの心配りをしている状態です。
あっちの人間関係にも、こっちの人間関係にも、常にマイナスの心配りをしているだけで、心は不安定な状態ですよね。
アキバの動物からカリマス(借ります)理論に当てはめると、
不安
↓
脅威
↓
逃避
↓
攻撃
という連鎖反応に陥ります。
さらに、
わからないモノゴト
↓
不安
↓
脅威
・
・
・
となりますので、「わからないモノゴト」が多い世の中では“不安”が広がりやすいんですねぇ。
“不安”に“脅威”を抱けば抱くほど、同じように“用心”している他の人々も、
「自分が責任を取るのは嫌だ。」
「責任は取りたくないから、信頼している訳ではなくても、誰かに任せたい。」
「引き受けたんだから、責任は取ってもらわないと困る。」
「責任を取ってもらわないと、自分に責任が降りかかってくるから困る。」
っと考えます。
“不安”に囲まれて生きていくためには、まず、自分を守りたいのは当然でしょう。
自分が“不安”の“脅威”から逃げだすためにも、責任の大きい事は他人に任せたいと思い、“脅威”の原因となる責任が再び自分に降りかかって来ないように“口撃(攻撃)”を加えるんですねぇ。
(理不尽なパワハラ、クレーマー、モンスターペアレントなどは、攻撃性が際立った例です)
・相手を心から信じ切っていないから、相手のやり方ではなく、ついつい自分のやり方を押し付ける。
・相手を心から信じ切っていないから、相手が対処すべき問題も、自分に責任が及ばないようにという無意識な反応から、自分の問題と区別がつかなくなる。
上記2点の度が過ぎると、《 共依存症 》を招くきっかけにもなってしまいます。
相手を心から信じ切って“信頼関係”を築き、人それぞれの個性を活かして、自立型相互支援の関係を目指すのか?
相手に“用心”して建て前上の“信用関係”を作り、相手の個性を牽制しながら、依存型相互利用の関係に陥るのか?
ただ一つ言えるのは、
依存型相互利用社会は、
《 心から信じられない=わからない人 》
ばかりの社会。
人間関係そのものが不安な社会においては、
人間関係以外のちょっとした不安が、
伝播しやすいのです。
不安が“群集の心理”によって広がると、
“逃避”する事が出来なくなり、
“攻撃”へと転じます。
そう、
暴動とは“不安”が“群集の心理”によって広まった結果として、
起こってしまうものなのです。
ちょっと話しが大きくなり過ぎましたが、責任を他のメンバーに押し付けながら、不安で満たされてしまっているような組織は、意外と多いものです。
みなさまも、まずは自分の周りに心から信じきる事が出来る“信頼関係”を築けているか?それとも、“用心”しながらの“信用関係”しかないか?を、確認してみてくださいませ。
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