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こんばんは、アキバです。


本日は予定を変更して【心の障害と裁判員制度】について、手短にお伝えします。

【小さな会社のためのリスクマネジメントの巻き】は、次回以降にお送りします。



最近は、心の障害が原因と思われる残虐な事件が多発するようになってしまいました。


今朝のニュースでは、2006年12月に発生してしまった2つの猟奇的殺人事件の裁判について、精神鑑定医の鑑定結果と今後の判決に向けたコメントが報道されていました。


渋谷の妹殺害事件では、アスペルガー症候群と解離性障害などの3つの障害により「責任能力なし」。

同じく渋谷のマンションで起こった夫バラバラ殺人事件では、短期的精神障害であり心的外傷後ストレス障害(PTSD)とは無関係だが「心神喪失」で刑事責任は問えないとの鑑定結果。


これとは別に、静岡県内で2004年、2005年に職場の同僚と自分の妻を殺害した元生協職員の東京高裁の判決では、弁護側が「うつ病により責任能力なし」としたものの、「文献を根拠としているだけで薄弱」として被告側の控訴棄却を決めました。


23日に起きてしまった土浦の8人殺傷事件の犯人も、自らが所有する2台の携帯電話で「おれがやることがすべてだ」「おれが神だ」などといったメールを送っていたという報道もあり、2つ以上の人格が存在していた事が推測されます。



ここで非常に危険な事に気づいた方もたくさんいらっしゃるでしょう。


要するに、精神鑑定医からの非常に難しく専門用語が飛び交うような鑑定結果を受けて、裁判官はすべてを理解した上で的確な判決を下す事が必要になってきたという事です。


そんな裁判の現場に導入されようとしているのが『裁判員制度』です。


心に障害を持ってしまっている日本人が増加傾向にあるという事は、このような事件が多くなってきた事からも、地域や職場、学校などにおける人と人とのコミュニケーションの問題からも推定されるでしょう。


裁判員として心に障害を持ってしまっている人が選ばれてしまう事も、十分に考えられるのです。

共依存の傾向が見受けられる人や、境界性パーソナリティ障害の傾向が出始めている人、抑うつ症状にお悩みの人等々、一見普通の人だけれども心理カウンセラーから見れば「危険かなぁ?」っと思われる人は増えてきているようです。



最近は企業経営においてもメンタルケアに強いブレーンが必要になってきました。


一般的にはメタボリック症候群対策の方が注目されているようですから、どちらかというとメンタル面よりもメディカル面に対する話題が多くなっています。


しかし、このブログでも何度かお伝えしています通り、メンタル面を疎かにしていると組織全体に影響が及ぼされてしまいます。




心の障害が原因と考えられる事件は、残虐な事件以外の小さなものまで含めれば、それこそ山のように膨れ上がっている事でしょう。


日本人はバブル後の失われた10年を経て、20世紀に『心』を忘れてきてしまったのかも知れません。


それに気がついた一部の人達が、「オールウェイズ 三丁目の夕日」などといった昭和レトロを復活させて、『心』の大切さに気づかせてくれようとしているのかも知れません。


『お金基準の豊さ』を効率的に追い求めてきた事による代償として『心の豊さ』を忘れてしまったのであれば、その代償はとっても大きなものです。


一人でも多くの人が『真の豊さ』に気づき、ひとり一人が自立してお互いに支援しあい、明るく楽しく平和な世の中にしていきたいですね。


私も微力ではありますが、メンタルについてもっと学び、みなさまのお役に立てますよう努力して参ります。


(とりあえずメンタル心理士の資格を取るための資料が昨日届きました)



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こんばんは、カリマスコンサルタントのアキバです。

今日は赤ちゃんと動物からカリマス(借ります)!

やっぱり日本のビジネスマンは、コワい顔して戦ってます。
通勤電車や、路上でも睨みを効かせている人がたくさんいます。

【赤ちゃん理論の巻き】でお伝えしました通り、赤ちゃんは言葉ではなく、その満面の笑みだけで、周囲を明るくしてくれます。
その満面の笑みだけで、周囲をあったかい気持ちにしてしまいます。
言葉が話せなくても、笑顔だけでたくさんの人とコミュニケーションを取ってしまうんですね。

コワい顔して睨みを効かせてたら、目の前のお客様も睨み返してきちゃいますよ。



さて、赤ちゃんが泣いていると、相手には二つの感情が芽生えます。


『かわいそう』



『不安』

です。


普通、赤ちゃんの親や他人であれば『かわいそう』に、どうしたのかなぁ?っと、思うでしょう。

オムツかなぁ?お熱かなぁ?疳の虫かなぁ?‥‥

言葉を話すことが出来ない相手に対して、一生懸命、原因を追求して解決してあげようとしますね。


でも、赤ちゃん同士だと違います。
赤ちゃんは、他の赤ちゃんが泣いていると自分も『不安』になり、一緒に泣き始めます。
『不安』が伝播するのです。


それでは、赤ちゃんではないですが、精神的に優しくても強くない大人の場合はどうでしょう。

やっぱり『不安』が先に立ちます。

優しくても強くない精神状態の人であれば、頻繁に泣く赤ちゃんに対して何度も『かわいそう』と思っているうちに、どうすれば泣き止んでくれるのかわからなくなり、精神的に不安定になります。

そうです、『わからない』状態は『不安』につながるのです。


どうしたら泣き止んでくれるのか『わからない』という状態が続くと『不安』も増大します。


【動物からもカリマスの巻き】

動物は知らない人やモノが近づいて来ると『不安』になります。
弱い動物ほど足早に逃げるでしょう。

そうです、『不安』から『逃げたい』のです。


自ら能動的に、精神的に不安定な状態から手っ取り早く安定させようと考えると、『逃げる』のは当たり前です。

相手の行動に関係なく、自分が動けば『不安』から遠ざかるのですから、まず『逃げる』のです。


それでは、逃げてはみたものの、追いかけられたらどうでしょう。

『不安』な状態が続き、『恐怖』を感じます。

『不安』『恐怖』なのにさらに追い詰められて、逃げ場がなくなったらどうでしょう。


『不安』『恐怖』からは『逃げたい』のですが、『逃げ場』がありません。
それでも『不安』『恐怖』を無くしたいのですから、『不安』『恐怖』を与えるものを『攻撃』するようになります。
自ら遠ざかる事が出来なければ、戦ってでも相手を遠ざけようとするのです。

追い詰められれば、追い詰められるほど、『不安』『恐怖』は増大し、『攻撃』性も高まります。


さぁ、それでは、人間に戻してみましょう。

ダーウィンの進化論が正しければ、人間も動物です。
よほどの修行を積んでいなければ、本能的には動物と同じ部分が多いでしょう。


『わからない』
 ↓
『不安』
 ↓
『恐怖』
 ↓
『攻撃』


《赤ちゃんが泣き止まないから、叩いたらグッタリして‥‥‥》

最近、そんな悲しい事件が多くなってきました。

《そんなの親でもなければ、人間でもない!!》

っと、怒り心頭で許せないという人も多いでしょう。



でも、ちょっと待ってください。

確かにそういった事件を耳にすると、怒りが込み上げてきます。

ただし、その事件を起こした人間ひとりを処罰しても、根本的な解決には至らないのです。

なぜなら、『そんな事件が増えてきている』という事は『そんな人が増えてきている』という事だからです。


根本的に解決するためには、

『そんな人』がなぜ増えてきたのか?

なぜそんな行動を取ってしまったのか?


その原因を突き止める必要があります。



『なぜそんな行動を取ってしまったのか?』

そんな事をする大人は、本来大人として持っていなければいけない『精神の強さ』『心のゆとり』を持っていないのかも知れません。

弱いが故に、『不安』から『攻撃』に至るまでが早いのでしょう。



『そんな人がなぜ増えてきたのか?』

『最近の子供はキレやすい』とよく言われますが、あなたの上司はキレやすくないですか?
『理不尽に怒って権力で部下の管理をしようとする上司が会社にいて‥‥‥』なんて、アキバが社会人になる前からよく耳にしてましたよ。

『いじめ問題』にしても、『窓際族』なんて言い方、いじめでしょ?



子供達は、お手本となる大人を見て育っているんですよ。



それを『最近の若いもんは‥‥‥』なんて、軽々しく言っていたら、問題は解決しません。


『問題を自分自身のものとして考える』事が問題を根本的に解決する早道です。

相手の問題は、相手にしか解決する事が出来ません。




それでは、組織の単位を『社会』から『会社』に置き換えてみましょう。



『わからない』
 ↓
『不安』
 ↓
『恐怖』
 ↓
『攻撃』



『何を考えているのかわからない』と思われている上司は、酒の肴に愚痴られている事でしょう。
『何を考えているのかわからない』と思われている部下は、低く評価されるか、いつも怒られているでしょう。
『何を考えているのかわからない』同僚は、他の同僚から直接いじめられたり、陰口を叩かれたりしているでしょう。


そけまではいかなくても、『わからない』事だらけの会社であれば、絶対『不安』になる筈です。



もうひとつ。

人間の精神は、そもそもあまり強くありません。ですから、闘う事が仕事の格闘家は、精神的に強くなる修行や修行に匹敵するようなトレーニングをします。

そもそも精神的に強くない一般の人がどうやって育ってきているでしょう?

いまの若者達は、子供の頃から『良い学校を卒業して、良い会社に入りなさい!!』っと、強い精神力が身に付く前から競争させられて育ってきました。

学校というサイズの組織の中で、同僚=同級生に勝てないとダメ出しされるんです。
そして、ダメ出しされないように、一生懸命勉強しろと、権力で強制されます。


権力で強制されたって、『わからない』ものは『わからない』んです。


さらに、部屋に入っていれば勉強してるように見えますから、他人とのコミュニケーションが激減します。


 「勉強したの?」
子供 「したよ」

『報告のための報告』が、なぜか子供の頃から身に付いてしまいます。


部屋でやっているのはゲームなのに。。。。


そして、『わからない』勉強と『わからなく』なった対人コミュニケーションが


『わからない』
 ↓
『不安』
 ↓
『恐怖』
 ↓
『攻撃』



のサイクルに乗せてしまうのです。


『恐怖』から逃げる事を最優先に選んでしまうと、ゲームと同じように『リセットボタン』を押してしまいます。残念ですが、自殺が増えているのはそのためでしょう。

『恐怖』に絶えられなくなり、『攻撃』に移る際にも、精神的に弱い事には変わりありません。
ですから、必要以上に攻撃的なのです。残念ですが、非常に残虐な事件が起きてしまっています。



こんな環境で育ててしまっている若者を、下に見て『自分は上司だ!自分に従え!』という人。

それで解決しますか?



『わからない』と対人コミュニケーションを掛け合わせてみて下さい。



なぜならそれは、前回の【人材が人財に変わる?の巻き】でお伝えしました通り、

『人と言う字は支えあっているから人なんだ。』っと、金八先生がいう通り、1対1で『わかっている』だけではなく、お互いに『わかり合っている』事を意味しているからです。

『わからない』に対して『わかれ!』『勉強しろ!』ではなく、『判り合う』のです。

それを実行するには、『強力な精神力』と、『上下関係の序列を超越した謙虚さ』が必要です。







あなたが話しを聞いてもらえないのは、あなたが『その聞いて欲しい相手』の話しを聞かないから



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