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タグ:思いやり

カテゴリ:
仲良し以外の他人との関わりを断ち

煩く忠告する友人知人を捨て

世間から離れ


それでも世の中で生きる


譲り合う事はなく

謙虚に振る舞う事はなく

思いやる事もなく

我先にと行動する



他人とぶつかり合い

他人と蹴落とし合い

それでも表向きは

善人を装う



ほら

いまそこに

誰かの足を踏んでも謝らない人がいたよ


ほら

いまそこに

電車から降りる人を押しのけて乗り込んでいく人がいたよ


ほら

いまそこに

並んでる人を押しのけて割り込んでくる人がいたよ


ほら

いまそこに

道いっぱいに広がって歩いているのに前から歩いて来た人を邪魔者扱いしている人達がいたよ


ほら

いまそこに

自分の事は認めて欲しいけど他人なんて関係ないっていう人がいたよ




それでも本当は

みんな仲良くなりたいんだねぇ

直接他人と向き合うのが怖いから

リアルな他人との関係を

無意識に断捨離してしまうけれど

バーチャルなネット上では

他人と繋がりたくてしょうがない

他人に認められたくてしょうがない

そうなんだねぇ




もし

もしも

そうだとしたら

強くなれとは言わないけれど

その装いの善意とか

その建て前の思いやりとか

その認められたいが故の思いやりを

リアルでもやり続けてみませんか?



きっと

笑顔が増えると思うんだけどなぁ





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それでも世の中で生きる


譲り合う事はなく

謙虚に振る舞う事はなく

思いやる事もなく

我先にと行動する



他人とぶつかり合い

他人と蹴落とし合い

それでも表向きは

善人を装う



ほら

いまそこに

誰かの足を踏んでも謝らない人がいたよ


ほら

いまそこに

電車から降りる人を押しのけて乗り込んでいく人がいたよ


ほら

いまそこに

並んでる人を押しのけて割り込んでくる人がいたよ


ほら

いまそこに

道いっぱいに広がって歩いているのに前から歩いて来た人を邪魔者扱いしている人達がいたよ


ほら

いまそこに

自分の事は認めて欲しいけど他人なんて関係ないっていう人がいたよ




それでも本当は

みんな仲良くなりたいんだねぇ

直接他人と向き合うのが怖いから

リアルな他人との関係を

無意識に断捨離してしまうけれど

バーチャルなネット上では

他人と繋がりたくてしょうがない

他人に認められたくてしょうがない

そうなんだねぇ




もし

もしも

そうだとしたら

強くなれとは言わないけれど

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こんばんは、経営理念コンサルタントでリスクマネジメント協会 Certified Risk Manager のアキバです。


今夜は予定を変更して、「並列化のリスク」と題しまして、現代社会における一つの仮説を考えてみたいと思います。

※あくまでも、私の個人的な仮説です。



今更ではございますが、21世紀に入り、高度情報化社会が到来すると、ひとり一人の人間が処理すべき情報量も飛躍的に増大いたしました。


その結果、膨大な情報量を処理するためには、スピードと効率を重視する必要性が出てきました。

昭和のアナログな時代を生きてきた人々は、あえて自分に入って来る情報量を少なくしたり、自分自身の価値基準に合った情報だけを選ぶ等、情報の洪水に飲まれない方法を選択する事が出来ているように思います。

(情報をフル活用している方は少ないですが‥‥)



一方、アナログな時代を長く生きていないせいか、自分自身の価値基準がしっかりと確立する前に情報の洪水の中に身を置く事となった若い世代の人々は、膨大な情報量の中から有益な情報を(場合によっては自分自身の価値基準を)見出すために、Parallel Computingのように、情報を並列化して処理する事が必要になりました。


まぁ、逆に言うと“価値基準”が定まっていないがために、情報に対して優先順位を付けたり、大中小分類に分けて整理する事が出来ない、もしくは苦手なのでしょう。



そこへきて、「世の中平等」「誰が上でも、誰が下でもない」といった並列化を促進するようなキーワードと、「勝ち組・負け組」「競争社会」「勝って見返してやんなさいよ」といった序列化を促進するようなキーワードがパラレルに入って来ます。



すると、しっかりと価値基準が出来上がっていない若者達は、「平等な社会だからこそ、パーソナルを強化して勝ち上がればいい」「かつてのような年功序列ではなく、実力社会だ」っという一つの基準が成立し始めます。



年功序列ではなく実力で勝ち上がった“ITバブル”の頃のヒルズ族を目の当たりにした若者達は、こぞって《 成功者 》と崇め始めました。


そして、より一層、「平等な社会だからこそ、パーソナルを強化して勝ち上がればいい」「かつてのような年功序列ではなく、実力社会だ」っという価値基準が一般化していきました。



そして、今。


多くの若者達の間では、年長者や上司、先生、場合によっては親にまでも、尊敬の念を全く抱かない人々が増えているようです。


自分自身が無の状態から、様々な教えを頂いて成長しているにも関わらず、その恩恵は総て“情報”であり、人ではないと‥‥‥‥


人々は総て並列化。


並列の中で勝ち上がれば価値があり、勝ち上がれなければ存在価値すら薄れる社会。



どうか「並列化のリスク」が社会を覆いませんように願いつつ、先ずは私自身が思いやりとまごころを持って、人と接しようと思う次第であります。



あっ、あくまでも「並列化のリスク」は私の仮説ですけどね。





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